皆さん、おはこんばんちは!
映画評論猫のAsari☆です。
今日もネタバレ無しでお送りしたいとおもま!
アサリ、とてつもない映画を観てしまいました!!!
Amazonオリジナル映画2020年公開のアメリカ映画「サウンドオブメタル〜聞こえるということ〜」
あらすじは、主人公のドラマールーベンストーンがある日突然耳が聞こえなくなってしまい、
バンドメンバーで恋人のルーに連れられ聴覚障害者の自助グループの元へ行き、そこの人々と共に暮らし徐々に生きる目的や意味を見つけていくというお話です。
正直に言います、まだ観ていない方がいたら恥ずかしがらずに教えてください。
絶対1日も早く、いや1秒でも早く観てください。
今「そんなに良かった?」て思った人、浅い。子供用プールより浅い。コンビニでケーキ買った時にもらえる透明のプラスチックのスプーンより浅い。
「サウンドオブメタル〜聞こえいるということ〜」めちゃめちゃええ映画です。
まずネタバレになるから詳しくは書けないけど、とにかくこの映画が伝えたかった事は
聴覚障害者と健常者の伝え方、コミュニケーションの取り方、受け取り方、自分の立ち位置。そういった違いをとても上手く描いていました。
我々耳がちゃんと聞こえる健常者にとっては、音楽や音を聞き分ける、相手の喋っていること、伝えたいことをマルチタスクで処理できる事は、もはや当たり前すぎて自然に出来ているわけです。
それは耳の構造上、聞きたい音だけ聞くということが出来ないからです。
例えば、目は見たくないものがあったら閉じればいいし、口は喋りたくないことは喋らなくていい。
しかし耳は、聞きたい言葉、音だけを選ぶことは出来ません。
これが見るということと、喋るということの大きな違いだと思います。
だからこの映画の作中にもあるように、
聴覚障害者の人達は手話や表情などを使い伝えたい相手に一対一、あるいは一対複数に全力で伝えようとします。それは同時に相手が一対一、一対複数の場合でも真剣に伝える、真剣に受け取るというベクトルに乗っ取った行動なのです。
なので聴覚障害者の人達は、もしかしたら健常者の我々より語彙数や表現方法が限られる中でもより多くの情報や感情を共有できているのではないかなと思いました。
我々健常者は、相手の顔や相手と少し離れた場所にいても会話が成立します。
もしかしてそれはとても不誠実ではないかと思いました。
作中の中でも主人公が手話を覚え、グループの仲間達とコミュニケーションを上手にとるシーンと、作中の終盤に彼女の父親と初めて会って対話するシーン。
この2つのシーンの大きな違い、それは健常者である彼女のお父さんは主人公と向き合わず、他ごとしながら主人公の後頭部や側頭部に話しかけます。
でも、先程語ったように聴覚障害者の人達はみんな話す人、伝えたい人の顔、身振り手振りを真剣に見て受け止めコミュニケーションをとっていました。
この事から分かるように問題なのはサブタイトルにもあるように「聞こえるということ」が大事ではなく、「聞こえるということ」は、聞こうとする姿勢や態度が一番大事ということなのです。
いくら目が見えて口がきけて耳が聞こえていても、真剣に相手と向き合ってコミュニケーションを取らなければ案外聴覚障害者の人達よりも、我々健常者は、伝えたいことの本質や確信に迫れないものなのかもしれません。
PS.アサリの人生ベスト10に入るような映画でした。難しく考えないで、曇りなきまなこでこの映画を見てください。
主人公の男の人は、ヴェノムの敵の人だよ!
asarichanwanekodearu.hatenablog.com
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竹とんぼを狙っているよ!
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